気まま記録

気合だけは、ある。

わがままの重要性

人は本来、どこまでもわがままであるべきだ。



他人を思いやることばかりが重視されて、結局自分のことは誰も顧みてくれていなかったことによる悲劇があちこちで起こっているのは、個人のわがままが軽視され過ぎているからだ。



自分のことを一番考えるのは、自分しかいないのだから、皆わがままでなければならない。
皆がわがままになった結果、落としどころを探すという社会でなければ、誰かが犠牲になり続ける社会にしかなり得ない。



みんなが他人を思いやる社会というのはただの偽善だ。
その陰では必ず、誰にも顧みられない人が犠牲になっている。